【ワットパータムウア(Wat Pa Tam Wua)タイ瞑想寺日記DAY8苛立ちはどこから?】
2023.6.9
今日は5時過ぎに目覚めた。けれど身体がうごかず、、朝のボランティアに間に合わなかった。というのも、昨日から私の中に葛藤があったのだ。
その理由がこちら、
掃除の時間に掃除をせず、本を読んでる人、寝ている人、フルーツを食べている人が何人もいた事だ。
掃除の時間と知らなかったとしても、周りで私たちが掃除しているのだから見てわかるでしょう?と思わずいいたくなってしまった。
けれど誰も何も言わない。行動でみせ、相手が自身で気づくのを待っているように私は感じた。
なので私もそうしようと思った。でもおかしくないか?知らない子どもには教えることを大人には教えないのか?!?!?!
というより、そもそもなんで私はそんなに相手に求めているんだ?心の底から環境に感謝して自分がただできることをする。それでいいはずなのになぜ周りが気になる?!そんな気持ちになるくらいなら、いっそ自分だって朝の仕事に無理に出ずに過ごしてみたらいいと思った。そんな思いが片隅にあったので今朝は出なかった。するとどうだろう。朝ごはん何事もなかったように頂くことができたが、どこか感動が薄い。あぁ、そうか朝働いていたからあんなにも朝ご飯にありがたみを感じて感動して食べられていたのかとようやく気づいた。
また、いつも朝のボランティアに参加している彼に今日はよく寝てたんだねと言われた。
あ、見られてたとハッとした。彼もきっと思う事がたくさんあるのではと思った。彼の行動を見ていると、わたしがとやかく他人をいう資格はないなと。どの立場で、おこがましいと頭を打たれた。
"他人の振り見て我が振りなおせ"
まさにこれだ。
自分の嫌いな部分、恥ずかしい部分、見にくい部分、未熟な部分があらわになった瞬間だった。
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